2021年11月17日水曜日

短かくもあり、短くもなし

 アントン・ヴェーバーンの《6つのバガテル》作品91913)のうち半数は30秒前後の曲であり、最長の曲でも120秒弱しかない。が、聴いていても不思議と短さを感じない。むしろ逆に、30秒という時間が存外長いことに驚かされる。

 ただし、それはあくまでもよい演奏でのこと。今日、手持ちのCDのうち、この手の音楽の演奏には定評のあった某団体の録音を聴き始めたところ、あまりの味気なさ、素っ気なさに途中で嫌になってしまった。音の出来事をただ羅列しただけのような演奏であり、30秒はただの30秒でしかなかったのである(同じディスクにはヴェーバーン若き日の作品番号なしの弦楽四重奏曲も収められているのだが、これがまた味気ないこと夥しい。作品の濃密なロマンティシズムが雲散霧消してしまっているのだ)。そこで、口直しにイタリア四重奏団の録音を聴いたが、こちらはまことにすばらしい。音の出来事の連なりが1つのドラマをなしており、30秒は実測時間以上の広がりと深みを持っていた。そして、こうしら演奏を聴くと、ヴェーバーンがそれまでの西洋音楽の伝統の上に創作を行っていたことが改めてよくわかる。

 人には常に「今」しかなく、生きている限りはその「今」をどう充実させるかが問題である――ヴェーバーンの無調時代の「短い」曲は、その問題をまさに眼(耳)前に突きつけているかのようだ。