2021年4月8日木曜日

メモ(42)

  クラシックの演奏家が何人か集ってグループをつくる場合、「○重奏団」や「○○合奏団」などと称して、既存のレパートリーを楽譜通りに演奏して「作品」を聴かせるのが普通だ。が、既存の作品を取り上げながらも、同時にメンバーによるオリジナルや自由な編曲も取り上げ、作品よりもむしろパフォーマンス主体で活動するようなもの、つまり、ポピュラー音楽の「バンド」のようなものをつくり、名前もそれらしいものをつければ面白かろう。

 実際、ヴァイオリンのジル・アパップの楽団はまさにそうした「バンド」であり、そのパフォーマンスはまことに魅力的だが、こうしたものがもっとあってしかるべきだと思う。

 その場合、演奏家には作曲も必要となるが、それは(自身は演奏をしない)作曲専業の人たちの創作とは些か異なったものである。すなわち、楽譜を書き上げた段階で作業が終わるものではなく、自身によるパフォーマンスまでも含めて1つの創作となる、ということだ。すると、「楽譜」というものの書き方や演奏での位置づけも変わってくるが、そこに現在の「現代音楽」が袋小路から脱出するヒントの1つがあるかもしれない。