Work(作品)が主でPerformance(演奏)が従の関係をW⊃P、逆に後者が主の関係をW⊂Pと表すとすれば、19世紀までの作品の少なからぬものがW⊂Pであり、それが20世紀になると決定的にW⊃P一色になってしまった(これが大雑把、かつ、乱暴なまとめ方であることは重々、承知している)――というのが昨日話題にしたことの1つである。
さて、すると19世紀までの作品をそれが生まれた当時の流儀で扱おうとするHIPはW⊂Pという関係をも蘇らせるものなのだろうか? 私にはそうは思えない。すなわち、HIPでも土台はW⊃Pであって、往時の演奏法や鳴り響きをある程度再現してはいても、それはあくまでも「作品の忠実な解釈」に留まっており、W⊂Pには至っていない(そもそも、そんなことは始めから問題にしていない)ように思われるのだが、どうだろうか?
もちろん、だからといってHIPなるものが間違っているとか、おかしいとか言うつもりは全くない。むしろ、演奏の世界に活を入れるものとしては大いに好ましく感じているくらいだ。が、それはそれとして、HIPの発想が20世紀という時代の制約を何かしら受けているということはあるのではないだろうか。そこで、そのHIPの「よいところ」は受け継ぎつつも些か異なる発想による演奏がこの21世紀に生まれることを期待したい。