2021年10月23日土曜日

私にとってのジャズ指南者

 私はジャズの聴き手としてはいまだ初心者の域を出ていない。それだけに、時折、『名盤○○選』といった類の指南書に手が伸びてしまう。時間は有限なので、かつてクラシック音楽でしたように「手当たり次第、あれもこれも」というわけにはいかず、「お勧め盤」なり、「お勧めのミュージシャン」なりについての情報を求めたくなるのだ。

そうして、これまでにあれこれ読んでみたものの、残念ながらなかなかよい指南書には出会えない。「○○を聴け!」とか「ジャズはかくあるべし!」とかいった類の講釈や説教が少なくないからだ(なるほど、そうした語り口が意味を持った時代があったのかもしれないが、今はもはやそんな時代ではない)。さりとて、あたりは柔らかでも中身の薄いものなどあっても仕方がない。

結局、あれこれ読んだ中で私の心を最初にとらえたのは植草甚一(1908-79)の文章だった。彼はかなりの歳になってからそれまで無縁だったジャズの「聴き手」となった人だが、それだけに彼の文章には「初心者」の気持ちに響くところがあった。しかも、全く偉ぶっておらず、「通人」のいやらしさなど微塵もないので、読んでいて気持ちがよかったし、話題にされている音楽を聴いてみたいと思わせてくれるものだった。

次に私が心惹かれたのは小川隆夫(1950-)の一連の著書だ。氏の文章も読んでいてまことに気持ちがよい。まず、音楽、そして、ミュージシャンへの愛と尊敬の念に満ちあふれており、自分の独断を読者に押しつけることが一切ないところがよい。とはいえ、もちろん、そこにはちゃんと「批評」があり、深い見識に基づく氏なりの意見はしっかりと述べており、読者にも自分なりに考えることを求めている。しかも、氏の文章は私のようなジャズ初心者が読んでも十分に理解できるものであるのみならず、ジャズの広く奥深い世界へと巧みに誘ってくれるものなのだ。今も氏の『ジャズ超名演研究』(シンコーミュージック・エンタテインメント、2018年)を読んでいるが、まだ知らないすばらしい音楽にこれから触れる機会があるかと思うと、本当にうれしくなる。

ところで、ジャンルを問わず、音楽の世界の存続にとって「初心者」を引き込んで啓発する力のある文章の書き手は必要不可欠だろう。ジャズの場合、私にとって小川隆夫氏はまさにそうした存在だが、クラシック音楽に関してそうした書き手は現在いるだろうか? 残念ながら私にはちょっと思い浮かばない(私にもそうした文章は書けない。恥ずかしながら)。それゆえ、むしろ若い書き手(志望者)にとっては今がチャンスだと思う。旧いタイプの「音楽評論家」とは異なる現代ならではのクラシック音楽の若き伝道者の登場を期待したい。

(オーネット・コールマンの『世紀の転換』(Atlantic, 1960)を聴きながら)