2021年1月30日土曜日

メモ(30)

 以前、ある学生が「自分のリズムは日本的だとよく言われる」とこぼしていた。それはたぶん、日本語のモーラのように1つひとつの音をはっきり発音してしまうからだろう。自身では気をつけてはいても、知らずしらずのうちに「日本語」的な表現になってしまうわけだ。そして、これは程度の差こそあれ、実のところ多くの(日本語環境にどっぷり浸り、耳が日本語仕様になっている)日本人の音楽家に当てはまることではないだろうか。

 もちろん、耳のよい人はその「違い」を自覚しており、自分なりに外国語を手本に音楽の「発音」や「朗読」の仕方を習得しているのだろうが、本当ならば専門家を目指す人向けの音楽の基礎教育できちんと教えられてしかるべき事柄であろう。

 ただ、日本の中だけで活動する人にとっては、「日本語化された西洋音楽」であっても何ら問題はない、ということも言える。