2021年1月13日水曜日

大聖堂の鐘

  ストラヴィンスキーが演奏家を聖堂の鐘撞きに喩えたのは有名な話で、彼の演奏観――つまり、「演奏家はよけいな『解釈』などする必要はなく、楽譜に書かれたことをその通りにやっていればよい」という考え方――を説明する際にしばしば引き合いに出されるものだ。

が、この件の出所を(ストラヴィンスキー研究者や熱心なファンならば先刻ご承知のことだろうが)私は知らなかった。これまで目にした文章でも、それを明記したものには出会わなかったのである。そのため、拙著『演奏行為論』の「序章」で是非とも言及したかったにもかかわらず、結局、出来ずじまいだった。

 とはいえ、その後もずっと気にかかっていたので、折に触れ探していたのだが、少し前に遠山一行のストラヴィンスキー論でその手がかりを見つけたのである。そこには「ホワイトが紹介している次の逸話」(『遠山一行著作集 第1巻』、192頁)との前置きとともに「引用」があげられていたのだ。

「ホワイト」とあれば、それでもう十分である。調べるべきはEric Waltr White, Stravinsky: The Composer and His Work (2nd, ed.), Faber & Faber, 1979だ。そこでさっそくこれを古書で手に入れ、探してみた。すると、果たしてそのp. 564に記述があるではないか。それは1914年のこと。英国のセント・ポール大聖堂の鐘の音を聞いたストラヴィンスキーは、そのときタクシーに同乗していた音楽評論家のエドウィン・エヴァンズに次のように言ったというのだ(エヴァンズの方が年長なので、丁寧語で訳してみた)。

 

  あれがまさに音楽の理想的なやり方ですね。一人の男が綱を引きますが、その先で起

  こっていることには特に関与していません。鐘の音をそれ以上弱くも強くもできませ

し、リズムを変えられもしません。クレッシェンドやディミヌエンドも無理です

――残りはすべて鐘の仕事なのですから。音楽はその男の中にではなく、鐘の中にあ

るのです。この綱を引く男が理想的な指揮者のお手本ですよ。

 

なお、同書には別の箇所を参照するよう註がついており、その箇所ではこのときのエヴァンズの証言が彼の著書Music and Danceから引かれているので、件の逸話もこのエヴァンズ本が出所なのだろう(実はこの本が怪しいとにらんでいたのだが、どうしても現物にお目にかかれなかったのである)。ともあれ、かくして疑問(ほぼ)氷解と相成った次第。