2021年2月11日木曜日

メモ(34)

  1人の作曲家が己の作品でそれまで誰も聴いたことがないような音の世界を示したとしよう。かつての「現代音楽」ではそれで十分であり、それだけで評価された。が、今やそれでは不十分ではないか? 

 今求められているのは、そうして示された音の世界が作品の少なからぬ受け手に新たな体験や認識をもたらし、必ずしも当人には明瞭・明晰に意識されてはいなくとも、少なくとも何かしらの「プラス」をもたらすような作品、すなわち、「有用」な作品ではないだろうか。そうした「有用性」を顧慮することは独善的な「独創性」を鍛え直すことにも繋がるはずだ。そして、その格闘の中から本当の意味で「現代」的な響きを持つ作品を生み出してくれる若い作曲家の登場を私は期待している(たぶん、そうした作曲家は既存の制度――学校やコンクールなど――とは違ったところから出てくるのではないだろうか)。