2021年2月5日金曜日

コンポーザー・ピアニストを待望する

  またしても『蜜蜂と遠雷』をネタに。それだけ同書にはいろいろと重要な問題が提起されているということだ。

 別の主要登場人物、マサルはたんなるピアニスト、つまり、他人の作品を演奏する者に留まらず、「コンポーザー・ピアニスト」を目指している。この「コンポーザー」はいわゆる「現代音楽」のことではない。そうした音楽の「大部分は限りなく狭いところで活動する、作曲家自身と評論家のための音楽になっていて、必ずしも弾いてみたい、聴いてみたい曲ではない」(『蜜蜂と遠雷』、332頁)からだとマサルは考えている。そして、彼が目指すのは「新しいクラシック」、つまり、「作曲家自身と評論家」以外の者も「弾いてみたい、聴いてみたい曲」のつくり手にして弾き手になることだ。

 ここに袋小路に入り込み、もはや未来のない「現代音楽」が「現代の音楽」となる1つの可能性があるのではないか。「現代音楽」はいくらその「業界」内で生きているシンパの評論家や音楽学者がどう言いつくろったところで、もはやどうなるものでもない(優れた作品、魅力的な作品も少なからず「あった」のは確かで、私も今でもそうしたものに魅せられてはいるが……)。というわけで、「コンポーザー・ピアニスト」が次々と登場してくれることに期待したい。それは「作品解釈」ということに狭められすぎた「演奏」というもののありようにも影響を及ぼすだろうし、「現代音楽」同様、あまり見通しの明るくない「クラシック音楽」のこれからにも大きく関わってくるだろうから。