2021年2月27日土曜日

メモ(35)

  当該言語の運用能力を持つ者には聞き取れないような発音で歌曲やオペラ・アリアなどを歌っている歌手がいるとしよう。もちろん歌手は言葉の意味は理解しており、そこで何らかの表現を行おうとしている。そして、言葉以外の部分でも「表現」はなされているのだから、それは音楽として成立していることになるのだろうか?

たぶん、そうした外国語を解する者にとっては「発音」と「語」の不一致は少なからぬフラストレーションを引き起こし、他の面での表現の理解をも阻害する(に留まらず、聴く気を失わせる)だろう。では、歌われている外国語を解さない聴き手にとってはどうだろうか? この場合にはかかるフラストレーションは生じようがないから、素直に歌手の表現は聴けるだろう。ただし、その表現は器楽曲によるものと意味の上ではさほど変わらないことになろう(これを「無意味」だととるか、「これはこれで意味のあることだ」ととるかは、その人次第である)。