2021年2月3日水曜日

コンクールの書類選考

  恩田陸の『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎、2016年)を再読している。最初に読んだときはご近所図書館から借りたのだが、一読後、「これは読み返す楽しみのある作品だ」と思い、単行本を購った。そして、一回目は興奮のうちにあっという間に読了したのに対して、今はゆっくりと読み進めている。それだけの魅力を持つ作品なのだ。

 さて、その初めの方にコンクールの書類選考の話が出てくる。主たる登場人物の1人の書類は「学歴、コンクール歴、何もなし。日本の小学校を出て渡仏。書類からわかるのはそれだけ」(同署、19頁)で、そのために書類選考を落とされてしまう(が、書類に添付されていた師事していた偉大なピアニストの推薦状が物を言い、「敗者復活」選考に参加することができて、でコンクールの出場権を得る)。なるほど、参加者の数が徒に多くなるのを防ぐためには書類選考は避けられまいし、書類だけでかなりのことがわかるのかもしれない。

 だが、書類だけではわからないこともある。それだけに、選考する側が何を考えているのかに些か興味が持たれなくもない。件の登場人物の書類選考に関するくだりを読んでいたとき、ふと、金澤攝さんのことを思い出した。彼はあるコンクールでまさに書類選考によって門前払いをくらわされていたからだ:https://research.piano.or.jp/series/pandc/2018/10/007_2.html 

 攝さんは中学卒業後に渡仏し、私塾のようなところや種々の講習会でピアノのレッスンを受けつつ、音楽を広く学んでいた(演奏を聴いたパリ音楽院の関係者から入学を強く勧められたが、断ったという)。が、書類選考を落とされたコンクールの前年に、メシアン・コンクールで1位なしの2位になっているし、それまでにすでにアルバム『スフィアー』と『ヒンデミット・ピアノ曲全集』を発表していた。にもかかわらず、書類選考で落とされてしまったのである。果たして、その選考者たちはどのような基準や判断によって攝さんを落としたのであろうか?