2020年6月1日月曜日

メモ(5)

 1つの「同じ」音楽作品を聴くにしても、人によってその「現れ」は異なる(たとえばピエル・ブゥレーズのような驚異的な耳の持ち主と(私も含む)大多数の人の音楽の「聞こえ方」が同じはずがない)。「音楽作品の同一性」とか「演奏の真正さ」とかいった問題はこの「違い」を度外視しているか、あるいは負の要素として処理している。が、逆にこの「人によって作品の現れが異なる」ことをもっと積極的に評価するかたちで音楽論が組み立てられないだろうか。