2020年6月30日火曜日

折衷様式?

 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウがある時期以降に録音したシューベルトの歌曲を聴くと、概ね現代の口語発音に拠っていることがわかる(このことは以前、ここで話題にした)。ここで「概ね」というのは、「すべて」ではないからだ。たとえば、語末のアクセントのないrerは口語式に[ɐ]と発音しているのに、それ以外のrは[r]、つまり、舞台発音と同じ「巻き舌」で歌っている(口語での発音は[ʁ]もしくは[ʀ](前者が正しいとする本もあれば、後者が普通だと説く本もあった。さて、実際はどっちなのだろう? が、いずれにせよ、これらの発音は[r]とはかなり異なる))。たぶん、それには演唱上のしかるべき理由があるのだろう。
 日本語でも歌唱のための発音がこれまであれこれ試みられているが、まだ決定版は確立されていないようだ(それにはもちろん、日本語の音に合わない作品が少なくないという理由もあろうが)。それ(と素晴らしい作品の登場)は今後に期待したい。

 昨日は武満の1970年代までの作品をいくつか聴いていた。やはりこの時期の彼の曲には緊張感があってよい。たとえば、《地平線のドーリア》 (1966)を私はこよなく愛する。奇しくも私が生まれた年に書かれた作品だ(手持ちのスコアを見ると、「1982.5.9」と購った日付が記されていた)。