2020年6月19日金曜日

クープランもピアノで

 原典尊重やHIPの隆盛にも拘わらず、ドメニコ・スカルラッティ(1685-1757)のチェンバロ曲は(同年生まれのJ. S. バッハ同様)今でもピアノで弾かれている。確かにチェンバロでしか出せない効果はあるものの、いわば「ピアノ用編曲」ということでこの楽器の魅力を存分に発揮した演奏があれこれなされているのは大いにけっこうなことだ。
 他の作曲家のチェンバロ曲ももっとピアノで弾かれればよいと私は思うが、どうだろうか。たとえば、フランソワ・クープラン(1668-1733)。彼の全4巻、27の組曲からなる《クラヴサン曲集》など、格好のピアノのレパートリーではないだろうか。その優雅で機知に富む曲の数々をチェンバロ奏者だけに楽しませておくのはもったいない。昔はそれなりにピアノでも弾かれていたようだが、「古楽」運動の影響で下火になってしまい、今でもバッハやスカルラッティほどには取り上げられていないようだが、だからこそ、「新規(新奇)レパートリー」として聴き手に歓迎される可能性が大いにあるのではないか。「ピアノで弾く」伝統の蓄積があまりないだけに、むしろいろいろな可能性がそこにはあるだろう。というわけで、《クラヴサン曲集》全曲を誰かピアノで弾いてくれないかなあ(自分でも遊びで弾いて楽しみたい)。


 言い忘れたが、ピアノによるクープラン演奏を私が待望するのには1つ全く個人的な動機もある。それは,チェンバロの音が嫌いだということだ。「嫌い」というよりも、あのキンキンした音にどうしても耳が耐えられないのである。これは自分でもとても残念なことで、「もし、普通にこの楽器の音が楽しめれば、どれだけよいことだろう」といつも思う。