2020年4月13日月曜日

メモ(2)

 芸術作品を「真理」の現れの場だとみなすことへの違和感。
 いったい、誰が、何の権利や資格で、ある作品に「真理」が現れているなどと言えるのか? 
 それが個人にとってのものならばよい。また、何らかの特定の時代や場に共に属する者たちにとってのものに限定されるのならば、それもわからなくはない。だが、そうした縛りが何もないにもかかわらず「真理」だなどと言われても、到底首肯できない。否、精確に言えば、首肯できる根拠がない。
 すると、そのように「芸術作品」に何かの「真理」を見て取ろうとするのは結局「信仰」のようなものなのではなかろうか? それが悪いというのではない。人が生きる上でそうしたものを必要だし、現にそのようにして人は生きているのだから(もちろん、私も)。
 西洋の哲学者や美学者がそうした「芸術の真理」を問題とするのは、もしかしたら、プラトニズムや一神教と関係しているのかもしれない。そして、その「外」の世界に生きる者にとっては、それは考え方としては理解できるにしても、必ずしも無条件に「身にしみ」たり、「腑に落ち」たりするものではなかろう。