2020年4月27日月曜日

高名であるにもかかわらず

 高名であるにもかかわらず、なぜかその人について読むに足る本が日本ではほとんど出ていない作曲家が何人かいる。
 私が愛して止まないプロコフィエフもその1人。音楽之友社の「作曲家・人と作品」シリーズでもショスタコーヴィチの巻はあるのに、プロコフィエフのものはない。何ということであろう。前者に比べて後者の人気が劣るというわけでもなかろうに。もっとも、同社からはプロコフィエフの自伝が出ているのはありがたい(もう少し訳がよければ言うことなしだが……)。いずれ、同シリーズからプロコフィエフの巻が出ることを期待しよう(なお、音楽之友社のライヴァル、全音楽譜出版社は近年プロコフィエフ作品の出版に力を入れているようで、これは本当にありがたい。スコアにつけられた解説も実に読み応えがある)。
 だが、そのプロコフィエフよりも格段にビッグ・ネームなのに恵まれていないのがハイドンであろう。ヴィーン古典派の三大家の1人だと言われながら、モーツァルトやベートーヴェンに比べて今ひとつ(いや、ふたつ以上)扱いが軽いのだ。が、これには仕方がない事情もある。つまり、ハイドンの音楽は他の2人に比べて一見穏健で、ぱっと聴いた感じでは地味に感じられるのだ。かく言う私も、ハイドンの面白さに気づくのには随分時間がかかっている。が、一度気づけば、もうその魅力からは離れられない。ヴィーン古典派三大家のうち、作品を聴いていてもっとも心が晴れやかかつ穏やかになるのは、少なくとも私にとってはハイドンである。
ローゼンの『古典派様式』は三大家を中心に論が進められており、当然、ハイドンにもそれなりの紙幅が割かれている。そして、個人的な好みで言えば、他の2人について書かれた章(ももちろん読み応えがあるが、それ)よりもハイドンを論じた章の方が格段に興味深い。というわけで、同書の邦訳が店頭に並んだ際には(まあ、秋までには出ると思う。そして、その頃にはコロナ・ウィルス禍もいくらか収まってはいることを期待したい……)、是非とも手にとってぱらぱらとめくっていただきたい。