2020年4月6日月曜日

「正しい社会」ではなくて、「楽しい社会」を

 次の一節はなかなかの卓見だろう:

  「正しい社会」ではなくて、「楽しい社会」を目指したほうがいい[……]。人によっ
  て 「正しさ」の基準は違います。世の中にはいろいろな意見があります。だから、一  部の人間の「正しさ」を他の人間に強制するのは楽しくないわけですよ。もちろん   「楽しさ」にもいろいろありますが、「正しさ」ほどのブレはないし、悪いほうに突  き進む危険性は少ない。特に、為政者が「正しい社会」を作ろうと言い出すとロクな  ことになりません。[……]
  (適菜収、清水忠史『日本共産党政権奪取の条件』、KKベストセラーズ、p. 102 )

ここにはこれ以上何の説明も要しまい。この発言の主である適菜収は、どんどん壊れていく、いや、すでに壊れてしまったこの国の現実を直視して生きて行く際の「知恵」を説いているのだ。
 「保守主義者」の適菜は種々の著書で「イデオロギー」や「理想」を警戒し、未来のために今を犠牲にするのではなく、先人の知恵に学びつつ「今を生きる」ことの重要性を繰り返し強調する。上に引用した共著でもそれは同じことで、書名こそ剣呑だが、内容は極めてまっとうなものだ。それこそすべての中学生に読ませたいと思うほどに(同書の文章は中学生でも十分に読める。中学生の時点でわからなければ、高校生になってでも読んで欲しいと思う。高校生でこれくらいの文章が――それに同意する、しないは別として内容を――理解できないようであれば、のちのちその人は社会的に「損をする」ことになるだろう)。書かれていることを鵜呑みにせよというのではない。このような考え方があることを知り、理解するだけでも、いろいろな物事の見え方が違ってきて、その後の生き方にも少なからず影響するからだ。
 「正しさ」とか「理想」とかいったものにはなかなか抗しがたい魅力(魔力)があるものだが、それに完全に絡め取られてしまうとどういうことになるのかは長い歴史の中で繰り返された(そして、今なお繰り返されつつある)惨劇が示す通りだ。いや、かくいう私自身も気をつけねばなるまい。
 ところで、適菜の著書は基本的には同じことを手を変え品を変え繰り返しているので、2,3冊読めばもう十分と思っていたが(そして、小林秀雄本での擁護論にはなかなか同意しがたいが)、今回、この共著を読み、もっと他のものを読んでみたいと思った。ただし、できればこのあたりで自身の保守思想の「決定版」たる著作を手がけて欲しいところだ。